■■ 甘い毒に侵食されて ■■





この人は、掴めない。
俺がどう思うとかどう動くとか、そんな事はきっとお構いなしなんだ。

「ねぇ櫻井君」
「何ですか?」
「僕、櫻井君が好き」
「…は?」
「うん、大好き」
「え、あのっ…」

俺の返事どころか言葉ごと受け付けずに、宮田さんは立ち去ってしまった。
あの人の事だから、『好き』と言う言葉に深い意味は無いのかもしれない。
でも、宮田さんは顔を合わせると必ず俺の事が『好き』とか『大好き』と言う。
あの人にとって『好き』ってどういう事なんだろうか。
俺にとって宮田さんは…?
答えも応えも無いまま、無情にも数週間が過ぎて。


「さーくらーいくーん」

トーンの高い、柔らかい声で呼ばれて心臓がトクンと高鳴る。

「宮田さん」

駆け寄られて、服の袖を掴まれて。
宮田さんは微笑って、何気ない話をとても嬉しそうに話す。
今では、そんな宮田さんが居ないと張り合いが無い気がする。

「あ、僕森川さんに呼ばれてたんだった!行かなくちゃ」

今までしっかり掴まれていた袖はあっけなく放された。
一歩踏み出したのに振り返って、宮田さんは向日葵みたいに微笑って言った。

「大好きだよっ」


========


「大好き」

柔らかい声で、日常の様に紡がれる言葉にも慣れて来た。
遠くから俺に駆け寄って来る姿や、自分より背の高い俺に目線を合わせる為に上目遣いになる姿。
彼の『好き』はまるで呪文の様で、言われるととても心地が良くて。
でも1つだけ、いつまでも解らない事がある。

宮田さんは、一度も俺の目を見て『好き』と言ってない…


ふと気付けば、宮田さんを目で追うようになっていた。
目が合うと微笑んでくれる宮田さんが可愛くて。
そんな折りに飛び込んで来た光景は、楽しそうに話す宮田さんと森川さんだった。
宮田さんはいつもみたいに笑っていた。
そう、いつも俺と話す時と同じ笑顔…。

別に俺が特別な訳じゃなかった。
あの笑顔が俺だけに向けられてるなんて、どうして思ったんだろう。

『大好きだよ』

頭の中に浮かぶ宮田さんは、俺の目を見ないままだ。


========


「櫻井君っ」

宮田さんがいつもの様に駆け寄って来て、いつもの様に俺を見上げて、いつもの様に微笑えむ。
でもふと、脳裏を先日の仲の良さそうな二人が掠めた。
その時やっと、宮田さんの『好き』は俺だけに向けられた物じゃ無いんだと、思った。
途端、宮田さんの中の自分の存在が凄くちっぽけに思えて。苛立ちと虚しさが込み上げる。

「何か用ですか?」

自分でも解る、抑揚の無い冷たい言葉。

「え、その…櫻井君の姿が見えた…から…」

俺の普段と違う態度に宮田さんは過敏に反応して、少し怯えた表情すら浮かべた。

「今忙しいんで」

宮田さんにそんな顔をさせてしまって、いたたまれなくて、直視出来なくて。
そっけなく踵を返してその場を立ち去ろうとする。

「櫻井くん!」

名前を呼ばれて胸が締め付けられる。
呼び止められて、何処かで喜んでる自分が居て…。

「何ですか」
「あ、あの…怒って…る…の?」
「いえ、別に」

解り易い嘘。
これじゃまるで子供だ。

「あの…ね、櫻井君」

下を向いてしまった宮田さんの表情は解らない。

「僕、櫻井君のこ」
「やめて下さい」

ハッと上げられる瞳は哀しげで…そんな顔をさせたいんじゃないのに。

「別に俺じゃなくても良いでしょう」

口が言う事を聞かない。

「好きなんて、簡単に口にするもんじゃないですよ」
「俺なんかより他に相手が居るでしょう」

嗚呼そうか。
俺は嫉妬してるんだ。

「そんな事無いっ!」

荒げられた声に、ハッとする。

「櫻井君だけ…僕が好きだって言えるのは櫻井君だけだよ…ッ」

真っ直ぐ此方を捕らえる視線…。

「僕は…櫻井君が好き」

初めて宮田さんの『好き』と目が合った。

「でも…それが櫻井君にとって迷惑なら、もう言わないよ」

伏せられた瞳に胸が張り裂けそうになる。

「ごめんね…」

違う、迷惑なんじゃない。そんな訳が無い。
そう思った瞬間には体が勝手に動いていて、宮田さんを抱き締めていた。

「謝らなきゃいけないのは俺の方です…」

腕の中に収まってしまったから宮田さんの表情が解らないけど、そのまま話し続ける。

「曖昧にしていて済みませんでした…何度も言って貰ったのに…返事もしないで」
「それは、櫻井君が僕の事を好きじゃないから…」
「好きです」

甘えていたんだ。
宮田さんが俺を好きだと言ってくれる事に。
宮田さんが微笑んでくれる事に。

「俺も、宮田さんが、好きです」

だから、余り他の人に微笑えまないで欲しい。
俺だけに微笑って。
そして俺だけに言って下さい。

「櫻井君、大好き…!」


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「何で俺の目を見て言ってくれなかったんですか?」
「だ、だって…恥ずかしかったから…」
「え?」
「好きって言うの、凄く緊張するんだもん。目なんか合わせたら、恥ずかし過ぎて言えないよ…」

背中に回された腕に力が込められる。
顔を見られたくない貴方の、精一杯の可愛い抵抗。

「でも今度からはちゃんと、目を合わせて下さいね」
「えっやだっ」
「やだじゃなくて…」

可愛い、子供みたいな反応に思わず苦笑してしまう。

「不安になるから…ね?」

諭す様に言うと、むー…なんて小さく唸って。

「じゃあ櫻井君もだよ?」
「はい」

次の瞬間、赤くなった顔を上げた宮田さんと目が合う。

「…大好きッ」

言った途端にまた俺の胸に顔を埋めてしまって、表情は解らないけど。

「下向いてたら、俺が言えないですよ」
「良いよ恥ずかしいからッ」
「先刻と言ってる事が違いますよ」
「良いのッ」

腕の中の貴方が堪らなく愛しい。
きっと今なら目が合わなくたって伝わる…

「大好きですよ」





▲end